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カレー沢薫のなりゆきデジタル化ぐらし〜Vol. 4〜

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目次

    「地元の小学生が地域の老の手引きで和紙を使った年賀状作りに挑戦」

    そんないかにも夕方の地方局で流れそうな激ヌルニュースを漫然と見ていたのだが、突然「参加者の中には年賀状を知らない児童も多く」という激アツテロップが出現して即死した。

    子どもが年賀状を知らないということは、その親も年賀状を出していない、もしくは「こんなことは俺たちの代で終わらせねばならぬ」という因習村の儀式扱いで子どもたちには年賀状という文化を隠しているかである。

    確かに、新年のあいさつなどLINE1本で済む世の中だ。
    そんな中わざわざ年賀はがきを購入し、日本人の奇習に呼び出された干支が微笑むテンプレを印刷、途中で枯渇した「マゼンタ」一色のみを買いにヤマダに走って帰ってまたポストに走る、というのは費用的にも労力的にもコスパが悪すぎるとしか言いようがない。

    しかし、年賀状が煩わしさしかない、一刻も早く滅びるべき風習かというとそうとも言い切れないところがある。

    新年のあいさつなどLINE1本でできるといっても「お前はそのLINE1本すら出さずに今まで切れた縁の本数をおぼえているのか?」と、雑な暮らしをするDI●様 も言っている。

    所詮LINEやメールで新年のあいさつを交わすのは現在進行形でつきあいのある人間だけだったりする。

    むしろ丸一年何の交流もなく今後も会うかどうかわらない人間からあけおめメッセージが来たら、新年のあいさつもそこそこにネットワークビジネスの話がはじまりそうで身構えてしまう。

    しかし紙の年賀状は何年も会ってない相手から来ていても「年賀状ソフトの住所録に入っている奴全員に送っているのだろう」としか思わず、そんなに不自然には思わない。

    こうして「ここ数年年賀状のやりとりだけ」という、大学時代の元カレよりも惰性の匂いしかしない関係性が生まれるのだが、逆に言えば年賀状が人間関係の最期の砦になっているとも言える。

    それに「年賀状があって助かった」というシーンもある。具体的に言えば、親などが死んだ時だ。
    親族が死ねば、遺族はその死を故人の関係者にお報せしなければいけない。
    だが正直、親の交友関係などさっぱりわからないのである。

    故人がマメであれば、エンディングノートに死を報せて欲しい人や、死んでも教えないでほしい奴のアドレスを遺しているかもしれないが、死にっぱなしジャーマン になっている人もいるだろう。
    その結果、後になって「何故教えてくれなかったのか」というトラブルが発生しないとも限らない。

    ここで、生前交流がある人間がわかるだけではなく、住所氏名さらに郵便番号まで記載されている年賀状が生きてくる。
    年賀状を送ってきている相手にそのまま喪中はがきを出せば、それなりに報せなければいけない相手に訃報が届くはずである。
    また年一で届くゆえに「毎年情報がアップデートされている」という点も強い。

    このように、年賀状の有用性を熱く語ったが、私が年賀状を出しているかというと、もちろんここ数年1枚も出していない。

    友達が少ない奴というのは単純に友達が作れないだけではなく「せっかくできた縁すら大事にしない奴」である場合が多い。
    コミュ症と言えど、学生時代は同じく教室に1人たたずむコミュ症たちと何となくくっついてイケてないグループを形成するなど、それなりに友達と呼べるものを作ったりする。

    だが卒業後、年賀状はもちろん、LINEの1本、SNSのいいね1つ押さないため、その縁はいともたやすく切れるのである。

    人間関係は作るのも大変だが維持するのも大変であり、ある程度の「マメさ」がなければ作ったところで維持が出来ない。
    さらに大人になると新しく友達を作る機会自体が減るため、どんどん友達が減っていく。

    私はそういう焼畑方式で大体の人間関係を焼き払ってしまったが、逆に言えばそんな私に未だに年賀状を送ってくれているのは面構えが違う精鋭、ということだ。

    もし私が死んだ際はぜひこの104期生 たちに死を伝えてほしい、そのためにも精鋭たちの住所は記録保存しなければならない。

    そもそも、年賀状をアドレス目的で保管するならデータだけで良いはずである。
    古い年賀状をいつまでも保管しておいても仕方がない、最新のデータだけ取って古い物から処分していった方が良いだろう。

    ScanSnapでハガキなどをスキャンすると上下左右を自動で認識し両面読み取ってくれるようだ。
    また文字認識機能を使って検索をすることもできるので、このデータを使って住所録を作製することもできそうだ。

    一旦住所録を作っておけば、今後何かの乱心により年賀状を出したいと思った時に便利である。

    とりあえず今まで来た年賀状を取り込み、住所録を作るところまでやってみようかと思う。

    しかし、残念なことに私は今まで届いた年賀状がどこにあるかもわからないのである。

    光を見つけた瞬間、手に持ってた懐中電灯の電池が切れる、まさに人生は3歩進んでムーンウォークである。

    幸い年賀状は夫が整然と保管してくれていたので、とりあえずこれを元に住所録を作ってみようかと思ったが、それもとん挫した。

    何故なら仕事以外で個人的に私に年賀状を送っているのは「3人」しかいないと判明したからだ。
    最終的に生き残った104期生の数よりも少ない。
    これで録を作るというのは、どう見ても村なのに市を名乗ろうとしているようなものである。

    カレー沢「スキャンされる104期生、3秒くらいで終わった」

    カレー沢「スキャンされる104期生、3秒くらいで終わった」

    とりあえずスキャンだけしておけば十分と判断し無事三名のアドレスはデータとなり保存された。

    部屋も人生も無駄だらけの私だが、人間関係だけは必要なものすらそぎ落とし、洗練されきっていると言える。

    せっかく整理されているものをゴチャつかせるのも良くないので、今年も年賀状を出さないまま新年を迎えた。

    整然と保管されている年賀状を眺めるカレー沢先生
    ScanSnap_iX1600

    ScanSnap iX1600

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    この記事を書いた人

    漫画家・コラムニスト カレー沢薫

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    元気な漫画家、まだまだ成長中。文章をかきます。

    karezawakaoru