PFUの歩み
「変わらぬ想い、変えてゆく未来」を胸に。
PFUは1960年、石川県宇ノ気の地に創業。愚直さと進取の精神でオフコン、ミニコンのトップメーカーとなりました。その後、第2創業期ともいえる大きな構造改革を経て、ドキュメントイメージング、エンベデッドコンピューティング、インフラ・サービス&インテグレーションという3本の事業を柱に邁進。創業当時からの変わらぬ想いで更なる価値と感動のある製品を提供し、お客様のビジネスの発展と持続可能な社会の実現を目指しています。
SINCE 1960創業
ユーザック電子工業(1960 ~)
パナファコム(1973 ~)
1960

創業時のウノケ電子工業
- 「合名会社ウノケ電子工業」創立
- コンピューター産業の黎明期であった1960年、当時電子計算機と呼ばれていたコンピューターのメーカーとして、石川県宇ノ気の地に創業しました。創業者は、宇ノ気町(現かほく市)で歯科医院を営んでいた深江溢郎で、従業員わずか7名、宇ノ気中学校の古い講堂を借用しての出発となりました。
1962

第1号機出荷風景
- 商用製品の第1号機「USAC 3010」を初出荷
- Unoke Standard Automatic Computerの頭文字を合わせた「USAC(ユーザック)」をブランド名に冠した、商用第1号機である「USAC3010」を開発しました。予想以上の反響を得たものの、結局1件の納入実績にとどまり、遂には経営危機にまで陥りました。しかし、再建5カ年計画を立て、新しい仕事に挑戦する若さと明るさで乗り切りました。
1969
- 「ユーザック電子工業株式会社」に社名変更
1972
- 情報産業分野の開発・製造・販売に関して、富士通、内田洋行、ユーザック電子工業で3社提携成立
1973

USAC720
- オフコンの礎となる「USAC720シリーズ」完成
- 超小型コンピューターとビリングマシンの機能を融合させた「USAC720」が開発され、後のオフコン(オフィスコンピューター)の原型となりました。その後、「USAC720」はシリーズ化されロングセラー機として活躍、ユーザック電子工業がオフコンのトップメーカーの地位を築き上げたベースとなったのです。

合併調印式で握手を交わす松下社長と高羅社長
- 「パナファコム株式会社」創立
- 富士通・松下グループ(現パナソニック)の合意によりミニコンを中心とした合弁会社が設立。大手企業同士の大型再編に、当時のマスコミを大いににぎわせました。社名は双方のブランドをあわせて「パナファコム」となりました。
1975

Lkit-16
- 世界初の16ビット1チップマイコン開発
- 8ビットマイクロプロセッサが流通し始めた当時、パナファコムはあえて16 ビットマイクロプロセッサの開発へ挑みました。10か月以上の開発期間を経て世界初の16 ビットマイコンを完成させ、1977年にはワンボードマイコンLkit-16を発売しました。世界のパソコン御三家と呼ばれたメーカーが相次いで新製品の出荷を開始し、パソコン時代の幕開けとなりました。
1979
- ビジネスパソコンの第1号機「PANAFACOM C-15E」発売
1983
- オフコンブームの火付け役となる「FACOM Kシリーズ」発売
- ビジネスパソコン「PANAFACOM C-280」発売 (『日経データプロ』で総合評価第1位)
1984
- 多機能ドットインパクト式プリンター「U5201」発売
1986
- UNIX採用ミニコン「PANAFACOM Aシリーズ」発売
SINCE 1987合併とPFUの設立
PFU(1987 ~)
1987

合併調印式 左から PFU 元代表取締役社長 長倉信彦/富士通 元代表取締役社長 山本卓眞/PFU 元代表取締役会長 丹羽正治/PFU 元取締役副会長 久田 孝
- ユーザック電子工業とパナファコムが合併。
「株式会社PFU」設立 -
富士通が主導役となり、富士通グループが51%、松下グループ(現パナソニック)が22%、内田洋行が21%、その他が6%を出資するという形で、PFUは誕生しました。
オフコンのトップメーカーである「ユーザック電子工業」と、ミニコン・パソコンの分野で成長を遂げた「パナファコム」が合併し、名実ともに国内最大規模となるオフコン・ミニコン・パソコンの専業メーカーが誕生したのです。 日本のコンピューター業界の未来を切り拓く存在として、PFUは飛躍を続けてきました。
1992
- 大和工場(神奈川県)を笠島工場(石川県)に統合
- 当社初の海外拠点「PFU上海計算機有限公司」を中国上海市に設立
1993
- カスタマーサービス事業「マルチベンダー保守サービス」開始
1994
- 当社初の米国事務所(現PFU America Inc.)をカリフォルニア州に開設
- 海外生産体制整備。シークス株式会社と合併で PFU Technology Singapore Pte. Ltd.(現 PFU Asia Pacific Pte. Ltd.)設立
1994
- 生産拠点としてPFU Technology Indonesia Pte. Ltd. 設立(その後、PT SIIX Electronics Indonesiaに統合)

キッティング作業の様子
- カスタマーサービス事業の修理・キッティング拠点として「PFUクオリティサービス株式会社」設立
-
LCM(Life Cycle Management)という概念をいち早く具現化する企業として誕生し、お客様のビジネスを強力にバックアップしてきました。
現在は、神奈川県厚木市にある本社をはじめ、東京ロジスティックスセンターや大阪キッティングセンターを拠点に、IT関連機器のキッティングサービスおよびロジスティックサービスを提供しています。
- 情報キオスク端末「MEDIASTAFFシリーズ」発売
1996
- 高性能コンパクトキーボード「Happy Hacking Keyboard(HHKB)」発売
1998

Pragma
- ScanSnapの前身となるイメージスキャナー
「Pragma(プラグマ)」発売 -
Pragmaは、従来開発していた業務用イメージスキャナーとはターゲットが異なり、一般オフィスやコンシューマー市場へアプローチしたモデルです。
卓上に置いて気軽に使える小型化と、誰でも使えるシンプルな操作性を実現し、2001年以降、PFUのコンパクトイメージスキャナーは、ScanSnapシリーズとしてベストセラーへの道を辿ります。
2002

笠島工場
- 笠島工場を分割。
富士通と共同で「株式会社富士通ITプロダクツ」設立 -
ユーザック電子工業時代から生産拠点の要だった笠島工場は、富士通グループの構造改革の一環として、富士通55%、PFU45%の割合で出資がなされ、「株式会社富士通ITプロダクツ」へと分割されました。
笠島工場で極められたPFU流の生産方式は、今もなお受け継がれており、育まれた“ものづくりの精神”は、現在もProDeSセンターで生き続けています。
これらの構造改革を経て、PFUは自主独立路線の第二創業期の歩みをスタートさせました。
2003
- 組込みコンピューティング製品「ボードコンピュータAM300シリーズ」発売
2004
- 組込みコンピューティング製品「エンベデッドコンピュータ AR1000」発売
- ネットワークセキュリティ製品「iNetSecシリーズ」発売
2006
- カスタマーサービス事業のコールセンター&ヘルプデスク「 IP Communication Center(IPCC)」開設
- 組込みコンピューターの開発製造一貫体制の拠点「ProDeSセンター」開設
2014
- 東京本社(川崎)と東京開発センター(町田)を統合し横浜本社に移転・設置
2018
- 組込みコンピューティング製品 累計販売台数100万台突破
2019
- 高性能コンパクトキーボード「Happy Hacking Keyboard」全世界累計出荷台数50万台突破
2020
- マイナンバーカード対応の顔認証付きカードリーダー「Caora」発売
2022

横浜本社受付の当社ロゴ
- 当社株主構成変更(リコー80%、富士通20%)
リコーグループの一員に - リコーグループへの参入後も、従来通り、イメージスキャナーに代表されるイメージドキュメント関連商品、産業・社会インフラ向け組込み用コンピューター、お客様の安心安全に貢献するITインフラの構築・運用支援サービスなどの事業を継続して、PFUのさらなる成長とリコーグループ発展への寄与を目指して、PFUは新たにスタートしました。
2023
- イメージスキャナーがグローバル累計出荷台数1,500万台突破
2024
- 廃棄物分別特化AIエンジン「Raptor VISION」提供開始
2025
- 当社株主構成変更(リコー100%)
- エンベデッドコンピュータ事業をリコーPFUコンピューティング株式会社に移管(統合)